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春も駆け足で過ぎていくよ [子どもと学習]

 遅くなってしまったけれど個人的なことのご報告をば。
 本人なりに将来を見据えて考えた進路であったはずだけれど、「友達と一緒がいいから」「周りは誰も受験勉強していないから」などと面倒くさがって結局、愚息は高校受験をせず内部進学で高等部に進学した。周りに流されて進路を変更するというのが私からするとまず理解できない。めでたいんだかめでたくないんだか。
 とりあえずそんなあほ息子が受験勉強しているもんだと思って遠慮してくれていた昔からの友人とともに「この受験狼少年め」とつっこみを入れて発散しておいたよ。親である私はいろいろと納得できないけれど、本人の選択なので仕方ない。
 だからといって中学から通っている今の学校に不満があるかと言うとそんなことはない。有名でも難関でもないけれど雰囲気の穏やかないい学校なんである。なんだか論文も書かせるらしいので楽しみだ。ばっちりきっちりがっちりしぼられるがよいよ。

 練習がきつくて雰囲気が納得いかなかったらしい格技系の部活動をやめて1年あまり。高校に進学して愚息は山岳部に入学した。先日近県に1泊2日で登山に行ったのだが相当にきつかったはずなのにかなり楽しかったそうな。

 この春は諸般の事情で家族そろって話す機会が多かったため、愚息の将来やりたいこと、現時点で関心のある分野について聞き出し、それに沿って大学進学、さらに就職と、進路を長期にわたってデザインするというブリーフィングもしてみた。
 がんばれば実現可能だね、という結論に達した。相当勉強しないと難しいけど。

 関心を大いに抱き、そしてうるさく口を出さないというスタンスを維持するのは難しい。



 この写真をツイッターやフォト蔵のアイコンにしている。公園の遊具なんだが、足で踏むとぷしゅううう、と気の抜けた速度で沈んでいく、楽しさをどこに求めればいいのか分からないミステリアスな感じと古ぼけた見た目が気に入っていた。この写真を撮ったときには老女が二人、ゆっくりゆっくりとこの遊具を踏んで遊んでいた。楽しそうではなかったけれど印象に残る不思議な光景だった。
 しかし、先日同じ場所へ行ってみたらば、この遊具がなくなっていた。

 時の流れはいろいろな変化をもたらすもの、であるらしい。



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魔王降臨 [子どもと学習]

 何があったというわけでもないのだが、ばたばたと忙しない夏だった。
 中学2年生の愚息はいくらお尻を叩いてもだらんだらんしていたくせに夏休み後半になっていきなりスパートをかけて一気に宿題をすませ、最後の最後になって突如魔王になった。

 さて、魔王が魔王たるために必要な資質とは何か。イメージしてみた。
 魔王というのはなんだか悪い感じのする人だ。その悪い感じの中には多分に悪賢さが含まれていると思う。
 悪賢いだけの魔王。どうだろう。その知力で以て周囲を操り、目的を達成する。なんだか自分だけ楽して他人を顎で使う感じがする。操られるとしてもお仕えするのがおっくうになりそうだ。
 反して、腕力体力豊かな魔王。どうだろう。常に前線に立ち、目的を達成するために粉骨砕身の努力を惜しまない魔王。よいね。一緒に何かやり遂げたくなる。でも、企む悪事のスケールが小さくなりそうなのが心配だ。ここは下々でやっておくんで魔王はひとつでかいことを考えてくださいよ、と言いたくなりそうだ。
 やっぱりね。魔王たるもの知力体力ともに充実してなきゃね。

「母ちゃん、ぼく、魔王になりたいわけじゃないんだけど」
 くぎを刺された。
 何が転機になったのか、詳しいことは分からないのだけれど愚息はあるスポーツを経験するために勉学が必要であると突如気がついたらしいのである。
 驚いたのなんのって。あんまりなことについつい混乱して関係ない魔王のことなんぞ考えちゃったじゃないの。
 今までが今までなので珍事ではある。親たる者、ここで「どうせまたすぐ飽きるでしょ」などと投げてはならじ。「いつまで続くことやら」と半分疑ってかかる気持ちは露ほども見せず、具体的な学習計画を週単位で組み、つきあうことにしたのだが…3日と言わず、初日で音をあげるかと思いきや、現時点でまだ何とか続いている。またまた驚いた。本気なのか。まあ、まだ1週間だからねえ。何とも言えないが。

 熱意が続くようであれば魔王とお呼びすることに吝かでないよ(本人は望んでいないのでこっそり呼ぶ)。ダークロードメーカープロジェクトを本格始動させるべく理科と数学、下手をすると英語もやり直さなければならないなあ。うへえ。
 今のところ、忙しい家人の代理を務めるべくひとまず数学の復習に勤しむことになりそうだ。25年もたつとこんなに忘れちゃってるとは…オノレでオノレのあほさ加減を嘆くばかりだ。昨日は家人から三平方の定理のレクチャーを受けた。三平方の定理、面白いのう。しかし、応用問題の解法まですぱっと示せるかどうか、自信がないなあ。嘆くばかりでは魔王のしもべは務まらぬ。なんとかせねば。




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幻の魔王 [子どもと学習]

 今日から4日間、北海道に帰省します。
 愚息の美しい夏休み学習計画が頓挫したため山のように宿題を抱えて出発することに…。

 宿題と言えば、夏休みの思い出を英語で書こう、という難度の高い(愚息基準)ものが出たそうな。母国語たる日本語の作文でさえままならない愚息は苦しんでいる。いやあねえ、そういう時こそ母ちゃんを頼りなさいよう。胸を張ったらばヤツの目が輝いた。私の提案はこうだ。

「私は魔王だ。
 将来の夢は世界征服である。
 道は険しい。」

 これをベースに権力を手に入れるまでに乗り越えるべき数々の試練やらひれ伏す人々の恐怖の表情の描写を加え、

「しかし、いつか必ず世界中の民草が私の足下にひざまづくであろう。」
 といったん締める。そしてさらに

「注意:これは私が夜中に見た夢である。おぞましいこの夢が現実になる日を私自身が最も恐れている。そしてこの文章はフィクションであり実際に存在するあらゆる団体等とのかかわりがないことご承知いただきたい」

 とかなんとか夢オチ、フィクションオチを付け加える。
 素晴らしい。完璧だ。何がってまず英訳しやすいところだ。ハリポタ原書などを紐解けば参考になる語彙がいくらでも出てくる。そして何よりも高い確率でウケを狙えるところがとってもいい。
 胸を張って提案しましたとも。即時却下されましたが。
 どうしてだめかなあ。こういう自由度の高い宿題は楽しんでなんぼでしょうよ。
 重要なのはこういった学習を楽しむことだ。そうすることで次回作はより完成度を高く、そしてオリジナリティを、と自身でモチベーションを高める効果が期待できる。

 正直なところ、この程度でよいのであればいくらでも書くことができるのだが、あいにく私は愚息の宿題を代わりにやらない主義である。なぜなら、長期休みに宿題で四苦八苦する愛息の姿を鑑賞すること、これが私の数少ない娯楽のひとつだからある。

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読書感想文、ちゃきちゃき書こうか 【第三訓:オチとカラーを決めるべし】 [子どもと学習]




 愚息は読書感想文を書くことを嫌がる。しかし、ちゃんと仕上げて提出したいらしい。

 確かに読書感想文を書こうとすると、読了直後の満足感が色あせるような気持ちにはなる。だが、ここはひとつもう一度読了直後の気持ちに無理やり戻るとする。小説であればクライマックスであったりラストの章であったり、何かしら心にわくわくやどきどきやぴかぴかやじんわりがあっただろう。愚息は「面白かったー」と言ったのだから。
 まずぱらぱらとめくりながら「面白かった」部分に戻り付箋を立てる。付箋もタダではないからにょきにょきとたくさん本の上に付箋の林ができると困るが、ここは「なんて無駄遣いを…」と嘆きたくなる気持ちをぐっと抑える。「面白かったところがいっぱいあるんだもん」という愚息のように細かいところに目が行き過ぎて絞り込めない向きもあろう。そんなときは(付箋の無駄には目をつぶり)まず同じ色の細く短い付箋で統一して作業させる。注目する部分のピックアップと絞り込み、二つの作業の同時進行という難易度の高い仕事は愚息には無理だ。考え込む時間ももったいない。

混沌の図.JPG


 付箋が林立するこの状態、まとまりづらく上の図のようなイメージだ。感想を言語化できない混沌なのでなんとなく「面白かった」をお肉の色で表現。次に、付箋の林から絞込みを行えばよいのだが、ここで整理を促すと混乱するのが愚息だ。実際に春休みに同じことをやらせてみたところ、付箋の林を前に「これを整理しろって言われても…」とフリーズしていた。

 ただ、この作業を行うと読了直後の気持ちにある程度戻れるようで、「面白かった」の内容がより具体的になってくる。「ここがねー」「あそこがねー」と具体的に愚息は面白さを語り始めるのだが、それをちょっと順番整え、書き言葉に直してそのまんま原稿用紙に書けばいいんじゃないの? と水を向けるとまたまたフリーズしてしまう。なんで? 「…でねー」「…でさー」を入れなければ語れないのか?

 メモをとって段落構造を作る作業にどうしても抵抗があるようだ。確かに現段階では「どこが面白いか」に話は終始していて愚息の「自分語り」にはなっていない。それではオチから決めてはどうだろう。本を読んだ自分をどう見せたいかをざっくりとイメージするのだ。

テーマカラー.JPG


 んん、図を作ってみるとなんだか「ボキャブラ天国」みたいになってるなあ。「インパク知」なんて、なつかしい。

 オチというには漠然としすぎているきらいはあるものの、文章の全体の基調がイメージできていると落としどころや文体、ひいては構造も作りやすくなる。何よりこの作業で読者にどんな印象を与えたいのかがはっきりする。読書感想文に限らず、文章を書く作業において重要なのは実はまずターゲットをどう定め、どんなリアクションを引き出すかを意識することなのである。こうしてオノレは不特定多数の、しかも存在するかどうか定かでない読者に向かって記事を書き散らかしておいて何なのだが…。

 まあ、それはともかく、愚息の場合の攻略対象は学校で課された読書感想文なので、読者を先生やクラスメートに定め、インパクトを狙いたいか、知的に決めたいのか、笑いをとりたいのか、はたまた渋く迫りたいのか、大まかにこの辺りから路線を選んで、本の「面白かった」部分、付箋の林から絞り込んでいけばよいのだ。

 この4つの中で難しいのはやっぱりインパクトかしらね。かあちゃんの今までの読書感想文体験からして、クラスメートの大体は知的感動を狙うタイプの作文がほとんどだったように思えるから、ちょっと深読みして笑いをとる路線なんておすすめだな。インパクトを狙うのと比べたらそんなに難しくないし。

 …って、おーい! もう書き始めちゃってるのかい? 悩んでいるんじゃなかったの? かあちゃん、長考しすぎちゃったかしら。


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読書感想文、ちゃきちゃき書こうか 【第二訓:読書感想文は「自分語り」と心得よ】 [子どもと学習]




 小学生のころ、あれだけ本を読ませるのに苦労したというのに、中学生になった今、愚息は読書をつらいとは感じなくなったようだ。むしろ楽しむようにさえなっている。これは中学受験の意外な副産物だ。国語の教科書やテストに出てくる文章はよっぽど短いものでない限り抜粋である。たくさん問題に当たったことで「この文章の続きが気になる」と感じられるようになったらしい。この夏休みもなんだかんだでだらだらする時間(の一部)が読書に充てられ、小説ばかりだが5~6冊くらいは読んでいる。軽く通読するこの冊数程度の読書が国語力アップに直接貢献するとは考えられないが、家族で読後の感想などを話せる点で喜ばしい。ひとまずは第一訓「何はともあれまず本を読むべし」はクリアした。

 これでネタはできた。面白かったんだよう、と勢い込んで語る。しかし、読書感想文というものは愚息にとって難物であるらしい。
 気持ちは分からないでもない。わくわくどきどきと、時に切なさに身をよじりつつ読みきった満足とともに読後感に身を任せているところに、何から手をつけていいのやらの読書感想文が待っていたのでは感動も色あせよう。私も子どもの頃、読書感想文を億劫に感じたことが一度ならずあるのでその気持ちは分かる。しかしここで愚息が
「そうでしょ? 分かるでしょ? めんどくさいよねー」
 と鬼の首を取ったかのように喜び勇んで私に同意を求めるとまた
「で、宿題提出するの? しないの?」
 振り出しに戻ってしまう。

 ひとしきりもめたあと、愚息はほとほと困った様子でこう言う。
「だって、何を書けばいいのか分からないんだもん」
 それでも読書感想文を書き上げて提出にこぎつけたいというのだから困るのはこっちだ。私とて一人息子に甘い親である。困っているのならば何とか助けてやりたい。ということで、読書感想文作成のプロセスを解剖しつつ、愚息の盛り上げ応援団役を買って出ることにした。

 何事にも様式というものがある。文章も然り。小学校から長期間かけて国語の授業で習う読解、ここで文章の構造を読み解くトレーニングをさんざっぱらやっている。ここで学んだことを読書感想文に活かせばよろしい。プロセスがひっくり返っただけで要は文章を自分で構築し、よそ様に読んでもらえばいいだけのことである。

「それができないから困っているんだよう」
 と愚息はぼやく。それももっともだ。それであれば、とまずプレーンな読書感想文の構造を示した。それにしたがってメモをとり、構造をそのまま段落に使いながらメモに肉付けして文章を作るようアドバイス。愚息はしぶしぶといった様子で机に向かっている。丸めた背中にもミミズののたくったような字の並ぶノートにもぐだぐだ感満載である。

 しおれた愚息の様子を見ていて私も困ってしまった。何かが足りない。何か間違ったアドバイスをしただろうか。しばし考えこむ。そうすると、私が何を間違えたかが分かった。文章の段落構造の例を示しても「何を書けばいいか分からない」という愚息の困惑を解決することにならないのだ。

 そりゃアドバイスになってないよなあ。申し訳ないことしたなあ。でも「何を書けばいいか分からない」なんていわれてもなあ。作文なんてそもそも「書きたい」と腹の底から突き上がってくる気持ちの丈を原稿用紙にぶつけるもんだろう。いきなり段落構造では確かに問題のすり替えみたいになっちゃってはいるけれど、ここはひとつ自力で何とかしていただいて…放置じゃダメかな。

 まあ、あれですかね。ぶっちゃけて飛躍しちゃうと、読書感想文を書く作業が楽しくないから気分がのらないんでしょうねえ。愚息のような「何を書けばいいんだか」「書くことがない」と途方に暮れる向きには根本的な発想の転換が必要になりそうだ。
 うーむ、これは難しい。愚息の好みそうなことと読書感想文作成作業の共通点を思考の海に深く潜って探る。ちょっとかっこよく書いてみたかっただけだ。つまるところ悩んでいただけ。
 だが、悩んでいるだけでは問題が解決しない。行き詰ったときは一度しょっぱなに戻ってみよう。
 そもそも読書感想文とは何か。本を読み、感想を書くこと。この場合の感想は読者それぞれで異なっていてかまわないわけだ。この本を読んだらこういう感想を持つべし、などという決まりはない。自分自身の気持ちである。
 ってことは、これすなわち自分語りだ。読書感想文と言う枠組みから逸脱しなければいくらでも自分を語っちゃっていいわけだ。こりゃいいや。すっきりした。
 人は誰でも自分のことを知ってもらいたいという願望を持つ。大人になるとつつしみやらしがらみやらいろんな縛りがあってなかなか表立って自分語りはできないが、子どもはその点ストレートである。たとえ単語、間投詞の羅列であっても、水を向ければいくらでもしゃべれるくらい子どもたちは自分語りを好むように見える。中学生になってもなお幼稚なところのぬけない愚息にはその傾向が特に著しい。
 ここでばっちり読書感想文と重なるではないか。本を読んで面白いと自分が思ったことを書けばいいというスタートにたどりついたよ。本を読んだ。どうだった? と問うと
「面白かった」
 こうして一言で済ませようとするから読書感想文にならない。ここで「面白かった」ことを「自分語り」に持っていけば読書感想文への突破口になりそうではないか。

 文章作成のテクニックをいくら吹き込んでも愚息は動かない。それであれば楽しげに感じられる作業であると思わせてモチベーションをあげるところからスタートだ。
第二訓: 読書感想文は「自分語り」と心得よ

 なかなか字を書くところにたどりつかない。正直なところ暑さよりも盛り上げ応援団をやるので疲れてしまう。


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読書感想文、ちゃきちゃき書こうか 【閑話:宿題は誰のもの?】 [子どもと学習]




 うーむ。自分で自分が恐ろしく、そして恥ずかしい。第一訓を書いて以来4ヶ月。なーにが「ちゃきちゃき書こうか」だ。ちゃきちゃきしなきゃダメなのは私自身じゃないか。
 タイトルに偽りあり。しかし、恥ずかしげもなく書き散らかしてしまえ。というわけで、第二訓の前に閑話におつきあいいただきたい。ちなみに第二訓は現在鋭意準備中である。いずれ日の目を見るであろう。まさか今度は4ヶ月もあいたりはしないはずである(と、オノレにプレッシャーをかけておく)。

 さて。かなり前のことなので記憶も薄らぎつつあるが、第一訓の折の愚息の読書感想文「『ドリトル先生アフリカゆき』を読んで」は、座礁に座礁を重ね、難破ぎりぎりのところでそれでも何とか踏みとどまり、提出にこぎつけた。作文の出来がどうこうというのは二の次である。昨年の夏の自由研究にしろ、春休みの作文にしろ、愚息本人が課された宿題を自力で何とかして提出にこぎつけたというのが私はうれしい。このうれしさのほぼ8割が「肩の荷が下りた」成分でできているとしても。

 と、一安心していたらば、この夏、またまた読書感想文なのである。

 愚息に文章を書かせるのはそれはもう難事業だ。文章を書くどころか、文字を書くことすら大儀であるらしい。しかもヤツは鉛筆の神様から嫌われているらしく、うねうねふにふにと判読不能なふやけた字を書くくせにやたら鉛筆やシャープペンシルの芯を折るのである。

 書き癖などもろもろの問題を抱えているが、要するに愚息は読書感想文がいやなのである。書きたくないんだろうなあ。

 今回の読書感想文に限らず、宿題を前にして負のオーラを撒きちらかして沈黙する愚息に、私は問うのである。宿題、提出したい? したくない?
 こういうとき、愚息は必ず「提出したい」と答える。うーん、えらいな。さすが真人間たる家人の血を引くだけのことはある。気の進まない宿題は手をつけず提出もしないというきわめて不遜な恥ずかしい小中学生時代を過ごした私の、宿題提出の是非に関する敷居はとてつもなく低い。さながらバリアフリーだ。そんな私からすると宿題提出の意思があるだけで評価に値する。

 しかし、提出の意思だけあっても宿題は進まないんである。「意思があるならば宿題をさくさくやらんかい」と一方的に尻をたたいても進まない。ここで再び宿題をめぐる選択肢を親子で整理してみる。

(1) 何が何でも自力で仕上げる
(2) 宿題の提出そのものをあきらめる
(3) 親が子に代わって宿題を仕上げる

 私が推奨するのはもちろん選択肢(1)なのであるが、どうしてもできないのであれば選択肢(2)でもかまわない。選択肢(3)は私としては受け容れがたいものである。オノレの宿題ですら提出せずに済ませたのに、なんでこの歳になってキミの宿題を私がやんなきゃいけないの。やらないね。絶対やりませんよ。

 定期的に繰り返されるこの手合いの局面、特に読書感想文という難物を前にフリーズする愚息の姿を目にすると必ず思い出すことがある。
 もう十年ほど前になるか。当時、私は愚息を保育園に預けて外資系企業でアシスタントという名の事務系業務なんでもやります的ポジションのパシリなんぞをへらへらやっていた。派遣社員数名からなるチームを率いてはいたものの、チームの外に出れば他はみんな上司のようなもんである。その上司の一人がある夏の日、私に本を一冊手渡した。時代小説の名作であると評判の一冊であるが、未読。あっれー? この上司に私が時代小説ファンだという話をしたことがあったかなあ? 面白いから読んでみよということかな、と受け取ると、
「これねえ、うちの息子の課題図書」
 と上司が言うのである。よくよく話を聞いてみると、なんと私に読書感想文を書けとおっしゃる。ご令息の学校から夏休みの宿題として課されているんだそうな。上司のご令息は某難関中高一貫校に在籍する秀才と聞いている。思わず「親御さんにも宿題が出るんですか?!」と口から飛び出そうになったが、これはもの知らずな私の勘違い。
 ご令息自慢が半ばを占める上司の説明をフィルタリングしてまとめると、つまるところ部活動や塾、遊びで忙しくて読書感想文なんぞに時間を割いている場合ではないということらしい。
 「宿題がどうしてもできないのなら、提出せずに先生に叱られちゃえばいい」という考えは私の幼少のころの体験に基づいている。当然十年前のこのときも主張した。
「そんな恥ずかしいこと。させられるわけないじゃない? しかも提出しないと評価が下がるんだよ?」
 と上司は熱く食い下がる。だからといってなぜ仕事中に、しかも全く関係のない私が…。
「なんだかほら、本読むの好きそうだし。ね、好きなんでしょ? じゃあいいじゃない。そういうことで今日中に仕上げといて。じゃ、よろしく」
 と上司は足取り軽く営業に出かけてしまった。
 呆然と見送った後しばし。怒りがこみ上げてきた。宿題から逃げ続けた勝手気ままな幼少時代の報いでこんな目にあうのか。なんで宿題がきらいな私が他人の読書感想文なんぞ書かねばならんのじゃ。
 放置してもよかったのだが、一計を案じた。ひとまず仕事のスケジュールと進捗状況を確認し、保育園へ愚息をお迎えに馳せ参ずること、つまり定時退社を至上命題として残り時間を算出、通常の5倍速で業務をこなして上司の依頼をこなす時間を作った。後にチームのメンバーが語る。まるで早送りしているかのごとき働きぶりであったと。あらまあ、私ったらデキる人みたいじゃないの、普段からこの調子でやってれば…いやいやそれは言わぬが花。そうこうして文章を作成、してやったりとメールを送信し、上司の帰社を待たずに定時退社した。
 このとき私が書いたのは読書感想文ではない。あまりに無体な依頼に腹が立ったので、ぷんすかしつつ書いたそれは、くだんの課題図書を例にとった読書感想文作成マニュアルである。上司指定の字数の優に3倍は超えていたかと思うが、たとえ相手が難関校の秀才であろうと丸写しだけは絶対にさせまいという、青少年の健全な育成を心から願う私の真心と上司ヘのあてつけがみっしり詰まった力作であった。
 翌朝。上司に呼び出された。
「これじゃ感想文、書けないよ」
「書けます。最後までお読みになってください。必ずご指定の本の感想文が書けるようマニュアルを作成しました」
 上司の「空気読め」と言わんばかりの鋭い、しかし困惑に満ちたまなざしがこの日は実に快かった。その後、上司は半月ほどかけて課題図書を読み、マニュアルに従い感想文を御自らお書きあそばしたらしい。
「親が書いたってばれるといけないから息子がいかにも間違えましたって感じに見えるようにわざわざ誤字も入れたりしてね。大変だったんだけど、これが先生にほめられちゃってさー」
 と上司は語っていた。青少年の健全な育成を願う私の真心は届かなかったようだ。ま、よそ様のご家庭のことだから、そもそも私には関係ない。丸写しさえ阻止できれば私の溜飲は下がるのである。
 ところで、この力作マニュアルを作成した日、どんなに通常の5倍速で働こうともつまるところ元がトロい私のこと、普通の人の作業速度に比べてもまだトロかったに違いない。たとえ一日とはいえ、業務と関係ない作業に時間を割けるくらいだ。今思えばずいぶんのんきな会社だったのである。本国の業界再編のあおりを食らい、今はその会社もない。力作マニュアルもどこかへ消えてしまった。

 そんなこんなで、今は自分の子どもが読書感想文をはじめとする夏休みの宿題に苦しむ姿を目の当たりにするようになった。それでも宿題の肩代わりなど、もってのほか。せめて、愚息とともにうんうんと唸ってやるのがせいぜいである。


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JAMSTEC見学記【その3:有人探査船「しんかい2000」「しんかい6500」などなど】 [子どもと学習]




 前々回前回の記事に続き、MANTAさん(ブログ「海の研究者」)のご厚意で実現した海洋研究開発機構(JAMSTEC)見学記をお送りします。

 恐ろしいことに興奮と暑さで頭が煮えてこの辺りからメモの内容がキーワードの羅列のみになってしまっている。たとえば見学コースの最後辺り、一言「ロギング。」とメモしてあるのだが、翌日メモ帳を開いたころには何がなにやらすっかり忘れ、分からなくなってしまっている。くうう、面白いお話てんこ盛りだったのにいいい。きっちり再現できないオノレのアホ加減が恨めしい。

 それはともかく。
 深海生物を堪能したあとは有人探査船「しんかい2000」と「しんかい6500」。

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 こちらがあの! 有人探査船「しんかい2000」(実物)ですよ! 現在は引退しています。んもう、感慨深い。これが海の深部まで潜っていったのかと思うと頬擦りしたくなっちゃう。いいなあ、どうだったよ、海の底。子どもの頃に見た「しんかい2000」着水のニュースを思い出しちゃいました。「なんだか未来な感じがするよねえ」なんて、(自分は一切関係ないのに)まぶしく誇らしく感じたもんです。
 「しんかい2000」、引退後に非破壊検査してみたところ、金属疲労もほとんどなく、十分現役でいけるくらい具合がよろしかったそうです。金属疲労の度合いだけで潜航可能かどうかをはかることはできないそうですが。
 ちなみにこの日(7月24日)すでに8月上旬の一般公開(すでに終了)に向けて準備が進んでいたらしく、「しんかい2000」の前にパネルが並べられ、下部の外装が透明なアクリル板に替えられていました。

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 シースルー状態の「しんかい2000」の下部を見ながらバラスト(重し)や潜航、浮上の仕組みを教わりました。「しんかい2000」、てっきり「ぶぶぶぶぶ」とか素敵な機械音を鳴らしながらエンジンか何かで潜っていくもんだと思っていたら、違うんですねえ。自重で沈んでいくんだそうです。そして、バラストを捨てながら浮上するのだとか。この説明を聞いたときの「なるほどね!」と腑に落ちる爽快感、うまく書き表せないなあ。私がもの知らずだからなのかしら、もんのすごく新鮮でした。

 そして「しんかい6500」。
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 こちらも実物! 現役の有人探査船ですよ! 頬擦りどころかもう張りついてしまいたい…! マニュピレーター(腕)と握手したくなるのを、私は大人のオンナよ、子どもじゃないんだからと抑えるのが大変。愚息も触りたくてうずうずしていました。
 「しんかい6500」は当然のことながら「しんかい2000」の運用から得られた情報や反省点を活かした設計になっているんだそうです。まず、外装(耐圧殻)。「しんかい2000」が鉄の合金だったのに対して、「しんかい6500」はチタン合金。探査船全体の重量がぐっと軽く、そして強度が高くなっています。
 さらに、船体前部。こちらが「しんかい2000」。
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 そして、こちらが「しんかい6500」。
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 写真がうまく撮れていないので分かりづらいかもしれませんが、「しんかい6500」は「しんかい2000」より船体前部の出っ張りが小さくなっています。「しんかい2000」は、チムニー(煙突状の熱水噴出孔)からサンプルを採ろうとマニュピレーターを伸ばしつつ近づくと、船体の突き出たおでこで頭突きしてしまい、チムニーを崩してしまうということもあったそうです。なるほどねえ。実際運用してみないと分からないことがたくさんあったんでしょうねえ。
 そして、コントロールコンソール。このあとに連れて行っていただいた海洋科学技術館で実物大模型を見せていただきました。「しんかい2000」は椅子に座ってコンソールを操作する仕組み。
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 計器がずらっと並んでいてなんだかかっこいい。でも、「しんかい6500」ではパイロットが寝そべってコントロールする仕組みに変わっています。なぜか。「しんかい2000」のコントロールコンソールには前方、下方を見るモニターがないから。「しんかい6500」は覗き窓から実際に外を見ながら操船できる仕組みになっています。なるほどねえ。深く納得しました。
 海洋科学技術館では「しんかい2000」のコンソールや「しんかい6500」の実物大模型のほかにもユノハナガニやサツマハオリムシの飼育展示や、実際に深海底から採取したチムニーの標本(小さなパイライトのかけらがくっついてきらきらしていました)などもあり、暑さだけでなく興奮の極地に達して頭が煮えてしまいました。藤崎慎吾『ハイドゥナン』を読んだばかりなので、説明の一つ一つがつぼにはまって楽しくてたまらんのです。

 このあと研究棟を見学。30度越えの外気から一転、摂氏2度の深海生物飼育室へ。涼しい。いや、むしろ寒い? しかし憧れのボテちゃんに会ってヒートアップ!
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 あああっ! なぜかストロボが! 私ったらまたクールピクスちゃんのツンデレっぷりに振り回されてしまったわ。ボテちゃん、びっくりさせちゃってほんとにごめんなさいいいい! しかし、さすが愚息より年上(御年15歳ほどになられるらしい)だけあって、ボテちゃんは泰然としていらっしゃいました。他にもボテちゃんと同じ仲間のアカドンコでまだ若いお魚にも会えました。目がくりくりしていてユーモラスな表情が魅力的です。
 そして、同じ建物にある別の研究室にもお邪魔しました。こちらでは地球の磁力の研究をされているとかで、部屋の中にさらに入れ籠のように部屋がありました。磁力を吸い取る金属が張られ、磁力の影響を受けにくい木材で統一されてなんだかカントリーな内装。磁力の影響を受けにくい環境を作って実験をされているそうです。携帯電話もデジカメも持ち込んでおきながら何なのだけど、その実験に悪影響を与えてしまいそうでどうしても写真撮影ができず。んんー、おこがましく「撮影してもいいですか?」と押してみればよかったか。こちらにはまだ若い男性の研究者さんがいらして、もうお仕事が終わりになる時刻なのににこにこと親切に説明してくださいました。キュートな表情と親切で真摯なお姿におばちゃんはくらくらしちゃいました。拙宅の愚息にも是非あの研究者さんのような好青年に育ってほしいものです。舌なめずりしているように見えたのだろうか。海洋研究開発機構の研究職のキャリアパスなどもうかがいました。お仕事だから大変なことがそりゃもうたくさんあるはずなのですが、お会いする方皆さんが親切で素敵なので、愚息は研究者への憧れが増したようです。お勉強しなきゃなれません、と釘をさしておきましたが。

 そして、最後は職員向けセミナーにお邪魔しました。若い女性研究者さんが講師となり、モンゴルの氷河についてレクチャーしてくださいました。氷河だけでなくゲルや草原、魚釣りなどモンゴルでの現地調査の様子も交えてスライドを見せていただき楽しいお話を満喫。氷河にぽつぽつと開いた穴の説明も興味深い。氷河の表面に散った黒い砂状の物質、これがあると太陽光線で温められて氷が溶けて穴になるのだそうです。この黒い物質というのが藻類なんだとか。長期間氷の中に閉じ込められていても太陽の光が届くところにくれば活動再開するなんて、すごい。この研究者さんは、過去のデータの比較ではなく、現在のプロセスから氷河の損失をはかる研究をされているそうです。近年話題の地球温暖化に関係する分野であるため、このキーワードに関連した質問が多く寄せられていました。機材の設置方法ひとつをとってもいろんな工夫がなされていて実に興味深いです。

 セミナー終了後、「楽しかったねえ」と親子で外に出るときれいな夕焼け。
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 バスを待っている間、セミナーから参加されたというMANTAさんのブログ(「海の研究者」)の読者さんに声をかけていただきました。その方からお話をうかがうと、MANTAさん、科学に関心のある若者の育成にも熱心でいらっしゃるとか。なるほど、昨年の愚息の自由研究の折にもブログを通じて子どもにも分かりやすい、噛み砕いた内容のコメントを寄せていただきましたが、本当に熱意あふれる方なんだと改めて感じました。本当はこの方のお話をもっと聞きたかったのだけれど、親子ともども人見知りするタチでなかなか会話できず。親子ともにインタビュースキルをあげなきゃいかんです。

 帰途、「懇親会に出たかった」とぶちぶちごねる愚息をなだめつつ、都内で会社帰りの家人と合流。「かいれいに乗った! しんかいを見た! あと、あとねえ」などと興奮冷めやらぬ様子の愚息とともにこの日の出来事を家人に報告。海洋研究開発機構という名前だけれど、研究内容は本当に多岐にわたるんだねえ、楽しかったねえ、などと語り合いながら帰宅しました。この日は偶然、愚息13歳の誕生日。愚息なりにいろいろなことに興味を持ち、知りたいと思う気持ちを強くした一日になったようです。13年前のこの日、この子は生まれてきたんだなあ、などと思い出すと感慨深い。まだ安心して手を放せる状態ではないけれど、見学中もべったりとくっついてこないあたり、少しずつ親離れしてきているのを感じました。科学と技術の粋に触れて目を輝かせる愚息を見ることができ、未だかつてないゴージャスな誕生日を迎えることができて親子ともに幸せでございました。MANTAさん、本当にありがとうございました。


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JAMSTEC見学記【その2:深海生物を見て触って大興奮】 [子どもと学習]




 前回の記事に続き、MANTAさん(ブログ「海の研究者」)のご厚意で実現した海洋研究開発機構(JAMSTEC)見学記をお送りします。

 次は堤防前の建物で深海生物の研究者Sさんからレクチャーを受けました。
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 手前は5月の一般公開でも展示されていたというプラスティネーションという手法で作られた標本。プラスティネーションというのは生物の体内の水分や脂肪分を合成樹脂に置き換える手法なのだそうな。つまり、一部プラスチックに置き換わっているだけで本物の標本であるわけだ。触ってもよいということなので心おきなくべたべた触ってみた。愚息は小学生のころから座右の書にするくらい『へんないきもの』のファンなので小鼻を膨らませて大興奮してプラスティネーションされた標本をつついていました。この標本になった生き物たち、おそらく生きているときはもっとやわらかかったのだろうけれど、プラスティネーションされていても意外にぷりぷりとした弾力が残るんですね。うーむ、すごい。フランスにはダイオウイカのプラスティネーションされた標本があるんだそうな。大掛かりな装置と膨大な作業量が必要そう。目がくらみそうにすごいな。でも、是非触ってみたい。ぷりぷりするのかしら。
 こちらはスケーリーフット。ウロコフネタマガイというのだそうな。
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 真っ二つに割られた標本もあります。すしネタのよう。しかし、殻の外に出ている体表には鱗のようなものがびっしり。これはスケーリーフット自身が生成した硫化鉄なんだそうです。
 こちらはシロウリガイ。
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 これはプラスティネーションされた標本ではなく、冷凍されたもの。立派な貝柱も二つある。どうも見た目がすしネタっぽいので食べられるのかどうかにどうしても関心が集まってしまいます。なんと、研究者のSさん、召し上がったそうです。ぷりぷりしてホタテの貝柱に近い食感と甘みはあるものの、どうしても硫化水素臭がきつく、おいしくはないのだとか。すごい。研究者魂だ。説明を受けている間にどんどん溶けてきてど真っ赤な体液が。
 このシロウリガイは海嶺や海底火山などの熱水噴出孔付近に生息していて体液にヘモグロビンを豊富に含むそうです。それで体液が真っ赤なのね。ヘモグロビンといえばヒトの血液にも含まれているたんぱく質。酸素分子と結びついて肺から全身へ酸素を供給する働きを持つと理科で習ったあれです。ヘモグロビンは鉄イオンを含み、これがヒトの体内においては酸素分子と結合するけれど、このヘモグロビン、本来は酸素分子より硫化物のほうが結合の相性がよろしいんだそうな。酸素濃度が低く、かつ熱水噴出孔付近の硫化物が豊富な環境では、硫化水素をエネルギー源とする微生物を体内に共生させるための仕組みであるらしいです。
 硫化水素をエネルギー源とする微生物との共生はいろんなパターンがあるそうで、シロウリガイはえらに共生させる(この共生の仕組み、幼生時にはないというのがまた驚きだ。変態するときに消化管がなくなっちゃうんだそうな)のに対し、サツマハオリムシは体内にバクテリアを飼っていて口も消化管もないとか。
 サツマハオリムシはプラスティネーションの標本の写真しか撮っていない。どうも物見高さから来る興奮と暑さで呆けてしまっていたようだ。いかんな、私。下の写真の枝のように細いものがサツマハオリムシ。
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 愚息がプラスティネーションされたサツマハオリムシを手に取り、しげしげと眺めて「爪みたいだなあ」とつぶやくと、Sさんがそのつぶやきを拾ってくださって「そう、爪と似た成分でできているんですよ」と教えてくださいました。愚息は当て推量が的中してふふーん、とうれしそう。このサツマハオリムシ、鹿児島湾の水深100メートル辺りの熱水噴出孔近くに生息しているんだそうです。水深100メートルというと深海というには浅い。でも、硫化水素が豊富にあり、太陽の光が届かないという点ではシロウリガイやスケーリーフットの生活環境と似ています。それにしても郷里の海にこんな不思議生物が生息しているとは。驚きだ。

 海洋研究開発機構ではサツマハオリムシだけでなく、他の深海生物の飼育を行っていますが、飼うことはできても繁殖には至らないのだそうです。深海でしかも熱水噴出孔の近くの環境を再現するのは難しそうですものね。それにしても、深海の生き物は浅い海から落ちてくる生き物の死骸しか食物のない、荒涼とした世界なのかと思ったらば、違うんですねえ。今後の調査でますます深海が面白いことになりそうです。わくわくしちゃいます。

 おもしろいなあ。愚息が幼い頃いっしょに見たウルトラマンガイア(嫌気性細菌が集合体として意識を持ち、好気性生物の生活圏を脅かすとかいうエピソードがあったような気がする)や、ついこの間読んだSF小説『ハイドゥナン』(この作品では木星の衛星エウロパで硫化水素をエネルギー源とする細菌が誕生と絶滅を繰り返していると設定されていて、通奏低音のように重要なファクターとなっている)を思い出して楽しさが弥増しました。

 今回レクチャーしてくださったSさんが作った深海生物の絵本も紹介していただきました。なんと、総合受付前の売店で売っていたとか。うおーん、買い損ねちゃったよう。おもしろそうなのにいいい。

 またまた記事が長くなってしまったので続きは次回へ。 


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JAMSTEC見学記【その1:調査船「かいれい」を見学】 [子どもと学習]




 青い空。青い海。堤防から下を覗けば、銀色の腹をきらめかせ群れる鰯、そしてゆらめく海月たち。まぶしい陽射しを目を細めて辺りを見渡せば、白亜の研究棟、軽やかな「メリーさんの羊」のメロディとともに駆け抜けるフォークリフト。

 愚息とともに行ってきました。海洋研究開発機構(JAMESTEC)へ。
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 大好きなブログ「海の研究者」のオーナーMANTAさんのご厚意で、ブログ読者を海洋研究開発機構横須賀本部をご案内していただいたのです。もの知らずな我々母子もMANTAさんの呼びかけにのっかってちゃっかり加わったというわけ。
 いやあ、贅沢な体験をしましたですよ。私は愚息のお供としてついていったのですが、立場を忘れて大興奮しちゃいました。そういえば愚息も私もナマの科学者を初めて見たわけだ。ちなみに初めてお会いしたMANTA先生はプロフィールのお写真とは段違いのイケメンでした。

 私が最も感銘を受けたのは調査船「かいれい」。
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 ちょうどこの日未明、岩手沿岸地震が起きたばかりだったこともあり、同行者からの質問もこの件に当初集中。海底を震源としている地震の場合、地震直後でないとその痕跡が海流の影響で消えてしまうことが多いのだそうな。目で観察できない部分でいろんな調査が行われているのですね。未知の部分が多いからこそこうして調査が行われるわけだけど、困難が多いのだろうなあと考えさせられます。
 ブリッジを見学。これは舵。意外に小さい。
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 でもかっこいい。愚息が触りたくて仕方なさそうにうずうずしている様子が見て取れたけれど、そこは中学生。本人なりに大きくなっているつもりなので「俺は簡単に舞い上がったりしないぞ」とオノレを戒めている様子。
 「かいれい」にはマルチチャンネル反射法探査システムが搭載されているのだとか。一般公開に向けて準備されているのか、説明の書かれたパネルが置かれていました。このマルチチャンネル反射法探査システムのイメージは海洋研究開発機構webサイト(下記URL)でご覧いただきたい。私は個人的にこの探査システム、ストリーマーケーブルとエアガン(+地震計)、2種類の探査方法の説明が最も印象深かったです。

深海調査研究船「かいれい」(海洋研究開発機構webサイト内)
http://www.jamstec.go.jp/j/about/equipment/ships/kairei.html

 「かいれい」は無人探査機「かいこう7000II」の支援母船でもあります。ブリッジ奥には「かいこう」の操作盤が。
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 むほおおお。かっこえええ。これには愚息だけでなく私もこの椅子に座ってみたいと思っちゃいましたね(口に出さずともうずうずしている気配が濃厚に伝わってくる)。MANTAさんによると十数年前のテクノロジーで設計され、十年ほど前に稼動開始しているのでなんとなくデザインが古いですね、とのこと。言われてみればなるほど、全体的に角ばってメタリックな筐体。モニターも当時はブラウン管だったものねえ。
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 「かいこう」操作盤にはこんぴらさまのお札も。海の神様ですものね。
 この日は次の調査に向けてちょうど地震計を積載中。
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 こちらは見せていただいた地震計。
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 黄色い球体が2個1セットになっています。中を開けると
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 こうなってました。分厚いガラスの球体の中に磁力計が。深海の圧力に耐える構造ということで球体になっているんだそうです。一年間深海底でデータを取り続けるこの計器は水気に弱いためいろんな工夫が施されています。

 調査船「かいれい」の航海は長期にわたるため、居住空間も意外に充実。調査船としての機能を重視しているので一つ一つはもちろん狭くできているのだけど、寄港時の交流用のサロン食堂、厨房など、細かなところに配慮が行き届いていると感じられました。当然のことながら女性もいらっしゃるので、お風呂や洗濯機も別。女性用のお風呂は男性用と比べるとちょっと狭いけれど、落ち着いたワインレッド色の内装になっていてそこはかとなく女の子向けな感じ。娯楽室もありました。
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 保育園児の工作が飾ってあります(お名前が映りこんでいるので消しました)。上の絵は「かいれい」のマルチチャンネル反射法探査システムのイメージが描かれています。お話をしっかり聞いて覚えていたお子さんなんですねえ。下の絵のお子さんもかわいいー。「ふかいうみにはなにがいますか」と書かれています。乗員の皆さんもこの絵を見たら和んじゃいますねえ。

 他にも感心する余りぽかーんとしていたら通り過ぎちゃった10㎞分のケーブル、これも写真を撮りたかったなあ。残念。形はミシンに入っているボビンと似たようなものなんだけど、なんせケーブル10㎞分が巻かれているんで超巨大。間近で目にすると圧巻でした。
 「かいれい」から降りると、ちょうど堤防でエアガンの整備中。作業中の担当の方が親切に説明してくださいました。
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 エアガンにもいろんな形があるそうです。
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 今回見せていただいたものは、写真の緑のテープでシールされている部分から弾性波を発射するそうです。このエアガンの説明も興味深かったのだけれど、なぜかメモを取ってない...。ううう、もったいない。何やってんだ、私!

 うむむ。毎度のことながら文がとてつもなく長くなっていかん。次回は深海生物編、の予定。


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中学生になったら [子どもと学習]




 中学受験関係の問題集や資料など、まだ片付け終わっていない。でも、ずいぶん減ってきた。
 愚息は受験を経て私立中学に入った。有名な学校ではないので、合格当初は「残念だったわね」というニュアンスまじりの祝福を周囲からいただいたこともある。
 中学受験というのは、なんと言えばいいのだろう。親の手間を惜しんではいけないのだろうなあ。過去となった今はそう思う。受験生の体調管理はどの家庭においても前提であるが、志望校選定について、こと中学受験に関しては親の仕事といえよう。最後まで成績が伸び悩んだこともあり(質・量ともに学習が足りていなかったのだから当然だ)、第三志望校選定には苦労した。勉強した受験生からすれば、合格したら入学したくもなる。学校の雰囲気は重視したい。拙宅の場合は、口数少ない愚息から第一、第二志望校のどの点が気に入ったのか、情報をしぼりだし、「男子校」「素朴でのんびり」「敷地が広い」ことを校風を判断するキーワードとして学校を探した(三点めはいざとなれば条件から削除するつもりだった。拙宅から比較的通いやすい範囲で広い敷地を確保できる学校は少ない)。近所の公立校に通っている小学生だった愚息は通学時間の長さなどまったく頓着しなかったので、親として追加した条件は「通学時間一時間程度」というところだ。現在愚息が通う学校を第三志望校としてチョイスしたのは私で、愚息の小学校の先輩が「お父さんの出身校ですごく雰囲気がいい」と目指し、入学したと聞いていたことが意識するきっかけとなった。しかし、受験準備中、学習に集中させるために、学校見学も説明会参加も第一・第二志望校のみに限定して時間を惜しんだため、説明会やイベント見学など本人も含め一切参加できないまま受験を迎えた。今通っている中学は入試一ヶ月前に定めた第三志望校で、受験も校外の会場だったため、愚息は合格証を受け取りに行って初めてその学校を見たことになる。その分、パンフレットやネット上で集めた情報から「受験前日は先輩たちが総出で学校中を掃除するんですって」などと雰囲気を少しでも伝えたつもりではあるが、いきあたりばったり感の漂う体当たり受験であったことは否めない。入学前はたいそう不安になったものだ。

 小学校では総じて愚息は担任との相性が悪かった。そんなくだらない些細なところで悪目立ちしなくても、と愚息をたしなめたことや、なぜ子どもが傷つくと分かっていることを軽率に口にするのかと、担任に内心憤ったことなど、はらはらし心を痛めることが少なからずあった。
 父親が公立高校で教師をし、祖父母も教師という家庭で育ったため、私は教師を尊敬している。しかし、いや、だからこそ期待しすぎないのが習い性ともなっている。家人も同じように父親が教師を勤めた家庭で育っているが、彼の教師に対する理想は高い。そして教師に高いプロ意識を求めている。私は彼に比べるとちょっとテンションが低い。
 愚息の小学校の担任教師のひとりに「お子さんはお母さんが思っているほどいい子じゃありませんよ」と言われたことがある。呆れ果てはしたものの、「親がこの子をいい子だと思わないでどうしろってんだ」という思いをぐっと抑えて先方の言い分をまず聞き終えた程度には冷静でいるつもりだ。だから、合格後の中学入学説明会で「お子さんの長所を見つけてあげてください。そしてこちらにそれを教えてください」とおっしゃる先生のお話も、期待しすぎないようにしようと心の一部分で醒めながら聞いていた。

 愚息が入学して二ヶ月近く。忙しいようでいてのんびりと過ごす愚息の顔は明るい。小学校時代に総じて担任との相性が悪く、つまらなそうな、時につらそうな様子を見せていたのが嘘のようだ。まだ学校そのものを判断するには早いかもしれない。小学校と異なり、中学校では教科別に担当教師が異なるため、教師と生徒の間の密着度、圧迫度が減る。その小学校とは違う風通しのよさが愚息からすると快く感じられるのかもしれない。この点だけを見れば、地元の公立中学に進学しても変わらない環境で過ごせるといえる。一度に複数の中学校に通わせることができない以上、比較は難しいが、現在愚息が通う中学校の教師を含む学校職員にはとにかく手厚いという印象を抱いている。電車トラブルから「帰宅が遅いのですが、今日は学校で居残りか何か...」のようなちまちました問い合わせまで、学習以外のことであっても対応が丁寧で密だ。恥を忍んで問い合わせた帰宅が遅れた件、このときは担任教師が私の問い合わせ後10分ほどたってから折り返し電話を下さった。愚息は学校でお友達とバスケットボールに興じていたらしい。構内を一巡し、見かけたクラスの生徒に尋ねたりしてくださったことがお話からうかがえた。こういうことがあった後も、同じように愚息の帰宅が遅れることがしばしばある。しかし、一度親からの問い合わせを受けたからといって、「早く帰れ」「電話しておけ」などと注意を受けていないようだ。愚息の中学校のこういうところに私は好感を抱いている。保護者の問い合わせに過敏にならず、見守るというスタンスができあがっている。長年にわたり中高生を育ててきた実績があるから可能な距離のとり方なのだろう。

 学校の雰囲気は学校職員のみで醸成されるのではない。生徒たちの学校内外での活動、卒業生と彼らの進路、保護者の関わりよう、学校の敷地面積や校舎の配置、図書室の蔵書など、学校内部のソフト、ハード面だけにとどまらない。周辺住民の評価、入学を検討する児童やその保護者、塾などの教育サービス関連企業の評価など、情報が内側から発信され、外側から評価が下されて、さまざまな内的外的要因がからんで作られていくものだ。
 現段階で愚息の通う学校の雰囲気を評価することは難しい。中高生男子ばかりが集まって「おっとりとした雰囲気」ばかりでもいられないだろう。実際、クラスのお友達が小競り合いを起こし、なぜかとばっちりを受けて無関係である愚息の下駄箱の扉が破壊されたりもする。「変なあだ名をつけられた」と愚息が困ったような、しかし親しまれるのは嬉しいのだけれど、と言いたげな複雑な表情をすることもある。反面、「今日はお弁当のおかずの取り合いになった」「仕方ないからちょびっと箸で割って分けてやった」「今日は○○くんからおかずを分けてもらった」などとあれだけでかい弁当を持たせてもなおおかずが飛び交う昼休みの話も聞く。体育祭の徒競走で飛び入り参加した5歳くらいの女の子に、自尊心が虚栄心と綯い交ぜになりがちな年頃の中高生男子が「どうぞどうぞ」と一位を譲ったりもする。同じく体育祭の部活動対抗リレーに参加し華々しくびりっけつになった愚息に、高校生の部長が「お疲れさん」とペットボトル飲料をご馳走してくれたりもする。こまごまとしたエピソードをつなげて思い浮かぶのは、入学前に聞いた評判よりさらに牧歌的なおっとりとした雰囲気。そして、年少者を慈しむ校風だ。これは外側からは知りえなかった新しい発見だ。

 数年前、愚息が中学受験をすることを話したところ、知人から「似たような子ばかりが集まる環境に入れるとヤワな男になるからやめたほうがいい。どんなに本人がつらくてもいろんな人のいる環境でもまれることが子どもには必要なのだ」と諭されたことがあった。今でもその知人の考えに特に反論は持ってない。ヤワでない男ってどんな感じよ、と部分的に引っかかりを覚えないでもなかったが、おおむね知人の言うとおりだと思う。しかし、たとえ公立中学に進学させても、あらゆるバリエーションの環境で育つ友人を親である私は愚息に用意することはできない。もう入学させてしまっているからには愚息に適応してもらうほかないが、男子ばかりとはいえいろいろな地域から生徒が集まり、教師との距離が近く、中高一貫教育で高校生との縦のつながりも得られる今の学校は、知人が言うような「似たような子ばかり集まる環境」には見えない。
 知人の言いたかったことを大雑把に酌むと「青春には蹉跌が必要ってことよ」ということになろう。愚息を牧歌的でおっとりした学校に入れたということは、摩擦を回避したい親である私たち夫婦の意向が進路に反映されたことになり、その意味において知人の憂いが当たったことになるのかもしれない。

 最も気がかりなのは学習だ。小学生のころに、学校の大して難しくもない、量もささやかな宿題を放棄し、受験時にもあれだけ勉強を嫌がっていた(でも合格はしたいとボケたことをぬかしていた)ことを思うと、親にうるさく言われずとも学校の宿題だけはこなすようになった現在の愚息は進歩しているといえる。これは中学受験を経たほかのお子さんと愚息とで大きく異なる点だが、愚息はどん底レベル、勉強などしたこともない興味も全くないところからの出発だったので、志はともかく、親である私の目線もたいそう低いのである。ただ、相変わらず根気もなく緻密さに欠けてもいるので、初めての定期テストは予想通りお粗末な結果になった(初の定期テストにあたりがんがん愚息をたきつける計画もあったが、別事情から今回は静観することにしたのである)。愚息は浅はかにも
「毎日ちょっとずつがんばった」
 と評価してほしかったようだが、そこは迎合してやらないのが親心ってもんだ。成績そのものを責めないスタンスは維持するものの、問題の読みが足りないところ、答案の雑な記入の仕方はきっちり指摘した。宿題だけでいい成績をとろうという考えが甘い。噴飯モノである。大体宿題を忘れてくる者がクラスの90%以上ならともかく、実際は多くて一人、二人だというのだから、学習量が足りていないことくらい単純に考えても分かりそうなものだ。
 進学実績の高い有名校に入っていれば雰囲気に流されて「勉強しないとまずいかも」とおのずとギアが入ることも期待できないでもないが、仮定でものを考えていても仕方ない。学習については学校でしっかりとした授業が行われていることを授業参観で確認している以上、あとは愚息本人の中で自覚と意欲が育つのを待つほかあるまい。

 今後愚息がどう育っていくのか、現在の私には見えない。
 でも、明るく楽しげに過ごし、「学校が大好きだ」と語る様子を見ていると、愚息がこの学校に入学できてほんとうによかったと思える。愚息を小学校に通わせていたときには学校と教師に期待も幻想も抱けなかった私だが、部活動に宿題に友人との遊びの約束に、と大忙しでも心に余裕のできた愚息の今を見ていて、「学校は勉強だけでない総合的な学習の場なんだ」と学生時代に得た実感を取り戻せた。愚息にこういう顔をしてほしくて中学受験をさせたのだった、と改めて思い出す。そして私も愚息の学校を好きになりつつある。


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